2017年1月29日日曜日

マイケル・S・ガザニガ「〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義」


マイケル・S・ガザニガ「〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義」
<https://www.amazon.co.jp/dp/4314011211/>
単行本: 301ページ
出版社: 紀伊國屋書店 (2014/8/28)
言語: 日本語
ISBN-10: 4314011211
ISBN-13: 978-4314011211
発売日: 2014/8/28

[書評] ★★★★★

脳神経科学者(医師・研究者)の手による本で、脳の働き(最新の研究からわかったこと)を中心に、人間の自由意志とは何か、心や意識は一体何であるのかを説明する本(人間は脳内の生化学的プロセスに踊らされているゾンビのようなものではないのか?)

人間の脳の構造の、他の動物(近縁種=大型霊長類や類人猿=)との大きな違い、認知の特徴など、非常に興味深い話がたくさん読める。脳は機能別のモジュールが無数に集合した物であり、それらは互いに連絡をとりつつも、独立して動いている超並列有機コンピュータのようなものだ。各モジュールの殆どは我々の意識にのぼらない領域で黙々と働き、緊急度や重要度の高い課題のみが意識にのぼる。…この辺りは非常に興味深い内容だった。

これまで私が読んだ脳科学に関する本には(リストを末尾に挙げておく)、脳内の個々の神経細胞の働きから脳全体の働きへとボトムアップ式に説明する本(エリック・カンデル&ラリー・スクワイア)、薬理学的・認知心理学的アプローチから説明する本(池谷裕二)、脳を含む神経系と電子デバイスの融合により失われた機能をとり戻したり機能強化の可能性について述べる本(レイ・カーツワイル、ミチオ・カク)等が挙げられるが、本書では個々の機能モジュールが超並列動作する「システムとしての脳」として説明しているのが面白い。特に面白かったのは、無意識と意識の話、自由意志とは一体何であるかについて述べている点。右脳と左脳の働きが大きく違うことや、左脳が自分の経験に意味付けをする等(場合によっては話の捏造もする)、人間の脳の「癖」で興味深い話が盛りだくさん。

脳というシステムを理解する上で、自動車やそのパーツを理解しても、交通システム(なぜ渋滞が起きるのか)は理解できないという比喩は大変解り易かった。さらに、脳というシステムを理解する上で、1人の人間の脳だけでなく、発展段階で社会から受ける影響を理解しないと、ヒトの脳が持つ社会性について理解できないという説明も非常に納得が行く。

なお本書においてツッコミを入れるとしたら:
  1. ヒトは生まれながらにして、ある程度の善悪の判断、内集団メンバーへの利他的行動をとる傾向などを持っているとされているが、DNAに組みこまれた特質と、経験・学習によって獲得された特質の区別が曖昧である点は否定できない(少なくとも社会のルールを守ったりするのは持って生まれた特質ではなく、主に賞罰教育で獲得されたものだろう)。ヒトは自分の外の世界=社会=との相互作用から、倫理観や社会性を獲得することが出来る神経回路を最初から持っているのだろうが、それら特質を発現させるには、経験と教育・学習によって獲得されるものだろう。これを「生まれながら…」と言い切ってしまうのは少し乱暴かも知れない。また、東洋人(中国人)と米国人で認知のスタイルに大きな差がある等興味深い話が述べられているが、DNAレベルで社会文化からの選択圧がかかっていることは否定できないものの、例えば中国系の遺伝子を持つ子どもを米国で育てた場合、倫理観や認知行動は果たして中国的になるのか(DNAレベルで脳の回路がある程度決まっている)? それとも米国的になるのか(教育の影響の方が大きい)? といった突っ込んだ研究もなされれば尚良かったと思う。
  2. 脳の働きを理解する上で、他の脳との関わり(つまり社会との相互作用)を考える必要があるというのは同意できる。また、脳の働きを考える上で、地域社会の文化などによる選択圧を受ける(社会にうまく適合できる脳=をつくるDNA=が生存・子孫を残しやすい)ことも理解できる。が、脳の研究の話から法律・司法の話にまで風呂敷を広げてしまっているのは、いささか専門外に過ぎる、と言わざるを得ない。
と書いてしまったが、総論としては非常に面白い本だった。

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本書の論旨から外れてしまうのだが、最近AI関連の書籍もドカドカ読んでいるので(笑)、本書の内容がAI研究に与える影響についても色々考えさせられた。
  • AIは現在、ディープラーニング等のブレークスルーにより、画像や音声の認識能力を獲得しつつある。しかし、これはヒトの脳で言えば、単一の機能を持つモジュールの機能発現にすぎない。AIをヒトの脳にもう少し近づけるには、多数のモジュールを相互接続した形を作ることと、それらに「無意識」を持たせること、そして緊急度・重要度の高い事柄が「意識」(思考の中心)を占めるような作りを実現することが必要だろう。
  • また、AIに「知能」を持たせる上で避けて通れないのが、「倫理観」「社会性」を持たせることだと思う。これを実現するには、AIは我々人間(そして他のAI)に「共感」を持つようにする必要があるだろうし、プログラム・コードで機能を組み込む以上に、多くのことを学習させなければいけないというのが一番難しい点だと思う。ヒト(を含む生物)の場合は、DNAレベルで作り込まれた回路(本能に関わる部分)と、乳幼児の頃からの学習によって「倫理観」「社会性」を獲得していることは参考になるだろうが、AIをヒトや動物の脳を模したものとして作る上で、プログラム・コードによる「本能」の付与と、教育(一部の心理学者は間違った教育だとするが)賞罰教育などによる「倫理観」「社会性」の付与が必須だろう(人間と全く異なるインタフェースしか持たないAIに、人間と共有できる価値観を獲得させるのは実は非常に難しいのではないか)
  • なお、現段階のAIは合理的な判断をするように作られているが、高等生物(特にヒト)は時として不合理な行動をとることがあり、これが我々を機械でなく人間たらしめていると考えられる。AIについても、趣味・嗜好を含め、不合理な判断・行動をとることを許容し、その範囲内でAIの高性能化を進めることが必要なのだろう。
  • AIの挙動に一定の不合理性を認める上で、認知心理学的アプローチ等も必要になってくるだろう。AIは今後ますます複雑化して、中身はブラックボックス化は避けようがないだろうから、「コンピュータ神経科学」「コンピュータ心理学」のようなアプローチも必須になるのではないか。
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◆以下余談:関連書籍(多すぎて収拾がつかない/苦笑)

◇脳神経科学のプリミティブな所は以下に詳しい(低次の生物に関する研究が多いが、記憶を中心として神経細胞の働きからヒトを含む高等生物の脳の働きまでボトムアップ式に論じている)
◇池谷先生の本も外せない。池谷先生は薬理を中心とした脳科学研究者だが、認知心理学的なアプローチから脳の働きについて非常に詳しい。
◇以下は主に神経系と電子技術との融合の話がメインだが、脳神経科学(とAIの両方)について論ずる上では外せない。
◇その他:本旨は脳科学とはずれるが、システムとしての脳の働きを論ずる本として、下記も面白い。

2017年1月22日日曜日

E・L・カニグズバーグ「ぼくと〈ジョージ〉」


E・L・カニグズバーグ(著), 松永ふみ子(訳)「ぼくと〈ジョージ〉」
<https://www.amazon.co.jp/dp/4001141493/>
単行本: 231ページ
出版社: 岩波書店; 新版 (2008/1/16)
言語: 日本語
ISBN-10: 4001141493
ISBN-13: 978-4001141498
発売日: 2008/1/16

[書評] ★★★☆☆

「頭がよく、ひかえめな少年ベンの体の中には、もうひとり別の少年が住んでいた。…」

スタジオジブリ・プロデューサー、鈴木敏夫氏が著作『ジブリの哲学―変わるものと変わらないもの』(Amazon拙書評)で本書を引いて「思春期」を論じていたので、前から気になっていた本(『ジブリの哲学』を読んでから4年近く経ってしまったのは“積読”になっていた為/苦笑)

主人公ベンは心の中に2つの人格を持っている。最初は精神分裂症にも見えるし、物語の中でも父親の後妻に分裂症と判断されて精神科医に通わされる羽目になる。が、これは別に精神分裂症でも何でもない。松永ふみ子氏による「訳者あとがき」には、「成長の危機(節)にある人間なら、だれでも起こる現象」と書いているが、成長の危機に限らず、我々は多くの場合、複数の人格を抱えているのではないか。建前の自分と、本音の自分。怠惰な自分と、自身を叱咤する自分。熱中している自分と、醒めている自分…etc.。

この「訳者あとがき」を読んで、私自身「思春期」を脱していないのではないかと少し心配にもなったが、鈴木氏の解説を読んで大納得。「余計なことを考える必要がなかった王権神授の時代と違い、近代以降の国民国家に暮らす人々は、自我に目覚め、自分自身と対話をしなければならなくなったのだ」。鈴木氏の解説は上述『ジブリの哲学』に全文引用されていて既読だったが、本作品を読んだ上で改めて読むと味わいが違う。

・  ・  ・  ・  ・

本作品は、少年少女向け物語の形をしてはいるが、実は大人向けの小説なのではないか。私(読者)は、主人公ベンでもあるし、その別人格・ジョージでもある。バーコウィッツ先生やカー夫人(ベンの母親、離婚→シングルマザー)の中にも、またウィリアムやチェリル(化学の科目でベンとクラスメイトである年上の友人)の中にも、自分自身を見出すことができる。少年ベンが、正しいor間違っているではなく、社会とどう折り合いをつけるか、に基づいて行動出来るように“成長”している点に救いがあるが(とは言え様々な設定が異常ではある)、色々と考えさせられる本だった。

ハードサイエンス(最近はAIと脳科学の本が多い――年末年始は音楽系の小説をどっぷり読んだが――)やビジネス系の本の合間の「箸休め」になれば良いと思って読んだ本だったが、全然箸休めにはならなかった(苦笑)

2017年1月15日日曜日

児玉哲彦「人工知能は私たちを滅ぼすのか――計算機が神になる100年の物語」


児玉 哲彦「人工知能は私たちを滅ぼすのか――計算機が神になる100年の物語」
<https://www.amazon.co.jp/dp/4478068097/>
単行本(ソフトカバー): 328ページ
出版社: ダイヤモンド社 (2016/3/18)
言語: 日本語
ISBN-10: 4478068097
ISBN-13: 978-4478068090
発売日: 2016/3/18

[書評] ★★★☆☆

人工知能(AI)が人間を滅ぼす可能性について一部で盛んに議論されているが、本書はそれに対する答えを与えてくれる本ではない(このタイトルは客寄せトリックのようだ)。本書冒頭(「はじめに」)に明示されているが、本書は、人工知能の技術面ではなく、今後ますます進行するITインフラとその一部を担うAIと人間の関係がどのようになるのかを予測する本である。

今後、社会がどのように変化して行くかを考える上での参考資料としては面白いし、今後の技術開発動向を考える上で参考になる箇所が多々ある。特に、次世代無線通信網(LTE/4Gの次の5G)が実現するIoT (モノのインターネット)は、人間同士、人間-機械(サーバ)間の通信に比較して、機械同士の通信が圧倒的に増大するという。そのような技術が実現した未来予想図は結構説得力がある。但し:
  • 下記「各論:PRO/CONリスト」の「CON (自分と意見が異なる点)」の方に書いた通り、研究者へのインタビューを行った様子も無く、参考文献リストを見ると技術情報の原典(とされる文献)も殆ど読んでいない模様。ダイジェスト版や解説記事を読んで、あとは想像力で乱暴にまとめた本のように見える。技術的な確かさは少々(カナリ?)怪しい。そういう意味で、評価を3個(5点満点中3点)とさせて頂いた(2点でも良かったくらい…)
  • 技術的な内容に乏しく、表現は情緒に寄りすぎている。技術の未来予測と宗教/オカルトを一緒くたにしている傾向もある(AI至上主義の態度はカーツワイル以上に宗教がかっている)
  • 超AIが人間を管理する未来社会を(受け入れられない人がいるであろうことは認めつつも)「すばらしい世界」だと主張している傾向あり。(←個人の情報や行動・思想を人外の存在が主体となって徹底的に管理した社会で、人間各個人は本当に「幸せ」になれるのか?)
  • とは言え、著者の未来予想図は、結構本質を突いているようにも見える。筆者は、良くも悪くも、想像力と解説力の高い非専門家なのだと思う。
ところで、我々の生活に関するあらゆる物事がAIに管理され、個人の裁量が認められない世界というのは、本当に人間にとって良い世界なのだろうか? 特に、本書の「超AIは偏りが無く合理的で常に正しい」「そのようなAIに管理された生活は幸せである」と言うような主張には疑問を感じざるを得ない。そのような超AIが“絶対神”となり社会を支配する…という世界観は宗教性が強く、AI原理主義的・狂信的とも言える。…とつい否定的なことを書いてしまったが、AIやIT/ICT/IoTにより今後の世界がどのように変化して行くかを占う本としては結構面白い。未来予測に関心のある人、AIの危険性についてチョイ読みしたい人にはオススメ。但し、本書の内容を無批判に信じたりせず、関連書籍も併せて読んだ上で、自分でキチンと考察・評価して欲しい。また、産業革命以降、色々な仕事が人間から機械に「奪われた」が、AIの出現~高性能化によって失われる仕事・残る仕事などを考察する上でも、(同様のことが書かれた文献は多数あるが)本書もそれなりに参考になると思う。

以下、ちょっと長いのでお急ぎの方は読み飛ばして頂きたく(苦笑)。

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各論:PRO/CONリスト

◆PRO (賛同できる点)
  • これまでのAIの発展の歴史と、今後AI (とIT/ICT/IoT)が我々の社会や生活に与える影響について、非常によくまとめて書かれていると思う。
    • コンピュータの父、アラン・チューリングの時代から、シンギュラリティ(技術的特異点)論者、レイ・カーツワイルまで、人間と同じような働きをする機械を作ろうとした人たちの歴史とその系譜について、概要を掴み易い。
    • 今後の技術展望を占う上で、第6章「IoTと人工知能がもたらす2030年の社会」に描かれた未来予測は、非常に参考になる。高度情報処理&通信技術、特に人-人以上に物-物の間での通信(IoT)の方が多くなった社会では、我々の生活はどう変わり、どのような仕事が機械に奪われるか。この描写は、時期ずれや細部の違いは多少あるだろうが、概ね本書に示された通りになるのではないか。
◆CON (自分と意見が異なる点、批判したい点)
  • 書き方、表現等について
    • 内容、特に人工知能に関する説明が抽象・情緒に寄り過ぎていて、技術的・具体的な内容に乏しい(著者はITを駆使している人のようだが、システム設計の立場ではない人のようなので、これはある程度は仕方無い)
    • 縦書きの書籍だからというのはあるが、Siriが「シリ」、iPhoneが「アイフォーン」等、カタカナ表記になっている箇所が多く、読み難い箇所が多い。また、縦書きで組版されているのに「上記のように…」と横書き的な表現が度々見られるのもイタダケナイ(原稿を横書きで作成しているからだろうが、これらは「右記のように」、「先述のように」などと表現して欲しかった)
    • 技術予測と宗教/オカルトを一緒くたにしている傾向がある。これは、ジェイムズ・バラットが著書『人工知能 人類最悪にして最後の発明』(ダイヤモンド社・2015、Amazon拙書評)で批判しているカーツワイルの姿勢以上に宗教的・狂信的だ(著者・児玉氏は、カーツワイル信奉者で、AIを「神」として無批判に布教する伝道者のようにも見える)。また、クローン等も含め、先進技術が孕む倫理的な問題をスッ飛ばしている傾向も強い(核技術や遺伝子組み換え技術について、今でも安全上・倫理上の議論が絶えないことを考えて欲しい)
    • (つぶさ)に読むと、AI研究者への取材等は行なっていない模様。また、各章末に書かれた参考文献リストを見ると(学術論文の査読のような意地悪な読み方かも知れないが)キチンとした技術文書は読み込んでいないようだ。真っ当な議論をする上で必要な技術資料の原典には殆ど当たっておらず、そのダイジェスト版や解説記事をチョイ読みして、想像力も逞しく未来予想をしているだけのようにも見える(シンギュラリタリアンの教祖・カーツワイルの“聖典”も『ポスト・ヒューマン誕生』(NHK出版・2007、Amazon拙書評)ではなくダイジェスト版『シンギュラリティは近い』(NHK出版・2016、Amazon)の方しか読んでいない模様)。そのような訳で、技術的信頼性は低いと見て良さそう。このような本が、真剣に取り組んでいる研究者の著作や、丁寧な取材に基づく書籍と同列に置かれるのはあまり世の為にならない(帯に「福岡伸一氏推薦」とあったが、福岡先生は本書のどこを読んで「推薦」したのだろうか?)
  • 近未来において、コンピュータ(AI)が意志を持ち、人間を超えた合理的で偏りの無い判断能力を持ち、「超越者」として我々の生活や環境を管理するようになることを大前提として書かれている。が、この超AIの価値観/倫理観が我々人間が受け容れられるものになるか否かについて、議論も言及も全く無い。 (そもそも、超AIには、設計者・制作者の思想や価値観が反映される筈で、完全に合理的な知能・知性などあり得ないのではないか?)
    • 現在AIは認識能力を大幅に向上させつつあるが、このこととコンピュータ(AI)が「意志」「感情」を持ち、自律的に我々の世界に働きかけてくることの間には雲泥の差がある筈だ(この違いについても本書では殆ど述べられていない)。そもそもAIが「心」を持ち得るかどうか、現段階では何とも言えない筈だ。このブレークスルーが起こると決めつけている点は、安易に受け取らない方が良いと思う。
    • 現在のAI研究の延長線上に現われるものに「高性能」で特定の「性格」(のようなもの)を持ち、人間より高性能で応答動作するシステムは実現するだろうが(現在既に、たとえばiPhoneのSiriのように「そこそこ使い物にはなるが、完全ではない」ものなら既に実現している)、人工知能が本来の意味で「知能」と呼べる物を獲得するかどうかは別の問題であり、実際にそのような「知能」「知性」を実現できるかどうかは現段階では不明だ。
    • 人間が脳の中にどのような形で意識や感情を持っているかも解明しきれていない段階で、それを超える「機械知性」を実現出来ると考えるのは行き過ぎだと思う。
    • 「合理的すぎる」超AIが管理する社会は、個人の自由意志・人間性を認めなくなるだろう(超AIから見て、人間は家畜のような存在になる)。そのAIに管理される社会は、G・オーウェルの『1984年』のような全体主義国家/社会となるであろう。人間が滅亡せずに存続したとしても、それが我々人間個々人にとって好ましい社会になるとは、どうにも思えない。
  • 旧約聖書(ユダヤ教)・新約聖書(キリスト教)やそれらの伝説と、コンピュータ界で起こっていることを絡めすぎている感がある。確かに、神の出現~滅亡~再生の神話との類似性について象徴的ではあるのだが:
    • 人間中心・科学万能時代に「神が死んだ」。
    • モーゼが手にしていた石版(タブレット)にも似た平たい電子機器(タブレットPC、スマホ)を人々が手にし、世界中でどこでも「絶対神」(サーバ・AIなど)に繋がるようになった。
    • AIが「意志」「感情」を持つようになった場合、それは「神の子」にも似ている。人間がAI (超知能、ASI)と地球を共存できるかどうか、人類は滅びるのか、あるいは生き残るとしたら誰か? これは「最後の審判」である。
  • 人間を超越した絶対神たる超AIが我々の生活を支配するようになるという考え方は、カーツワイルにも似た「宗教」だ(カーツワイル以上に狂信的であるとさえ言える)。筆者が思い描く未来社会(の理想像?)は、現代の人間社会やその価値観を認めない「AI原理主義」、「危険思想」の領域ではないだろうか。人間の判断やその結果として成り立つ社会とは本来、様々な要因でバイアス(偏向)が入り、非合理的なものであるが、これらを受容できない「完全に合理的な判断」は、人間性を全否定するものとなろう。
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余談①:超AIが支配する社会を描いたSF作品の例 (創作物ではあるが結構参考になると思う)

超AIが支配する世界は、個人の自由意志や人間の非合理性が認められない(抑圧された)社会となるだろう。たとえヒトという種(しゅ)が生き延びたとしても、個性(差異や嗜好)が殆ど認められない、ヒトがAIの家畜となった「人類文明の滅んだ社会」と言えるのではないだろうか。このような未来社会は、地球環境やヒトという種の保存の為、超AIが生命の誕生や死も含めて人間社会を完全管理している世界だ。本書に書かれたような未来社会は、たとえば以下の作品に描かれるようなディストピア(暗黒郷)に近く、(少なくとも私には)受け容れ難い世界だ。
  • A・ハクスリー(小説)『すばらしい新世界』(1932)…ごく少数のエリートと超AIによる完全管理社会であり、個人が誕生・教育・仕事・死亡まで遺伝子情報により全て決められた、自由の無い世界。
  • G・オーウェル(小説)『1984年』(1949)…世界が少数の国家に統合し直されている。各国家は互いに戦争をしているが、各国家は国民の行動や思想を常に監視し、国家を維持する形態をとっている。国体を維持する上で障害となりそうな危険思想に結びつきそうな用語は公用語から抹消され、言語も作り直されている。街中の各所や全ての家庭内にネットワーク化された監視装置がついており、全国民を「ビッグブラザーは見ている」。
  • 竹宮惠子(漫画)『地球(テラ)へ…』(1977-1980)…破壊された地球環境の復元と社会維持のために、人間ではなく超AIが国民生活を支配している(超AIがトップに立つ全体主義国家)。全国民の言動は常に監視されており、思想や言動の管理は勿論、素質面でも社会に不適応とされた人間は、“処分”される。
  • サンライズ社(アニメ)『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』(2004-2005)
    • 「コーディネーター」…遺伝子操作によって作られた人種(これに対し、遺伝子操作されていない人種を「ナチュラル」と呼ぶ)。先天的な病気を無くし、病気や怪我、環境変化に強い。これを不自然なものだとするナチュラルの一部勢力と、政治的・思想的に衝突する。
    • 「デスティニープラン」…「コーディネーター」のさらに先を行く概念/計画で、各個人が遺伝子解析により先天的な適性と能力を調査され、最適な職業・役割が与えられ、社会運営の効率化を目指す。個人間の諍(いさか)いや、国家間の争い事が無くなるという“人類救済措置”を称しているが、この管理方針に沿わない人間は淘汰・調整・管理される世界。
※SF作品は創作物ではあるが、未来技術の持つ危険性などについて警鐘を鳴らす「予言の書」であり、馬鹿にしたものではないと思う(←スミマセン、とある評論家さんからの受け売りです/笑)

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余談②:超AIが管理する社会に対する私見

私はTOEICスコアや業務スキル(専門技能資格の有無など)により人事考課が変動するのは仕方無いと考えるし、年間の自動車運転距離や違反歴、酒量・喫煙の有無や病歴、日常の運動量などによって料率が変わる保険も(ある程度は)合理的だと考える。

でも、例えば個人のDNA情報だけに基づいて料率の変わる保険が出てきたら、平等の概念や社会倫理に反しているのではないかと考える(肌や目の色と同じで、それは個人ではどうしようもないものだからだ)

さらに言えば、24時間365日間の体温・血圧・心拍数の変動によって給与が変わる会社には勤めたくないし、好きなタレントや検索キーワード履歴や友人とのチャットの内容によって受けられる福祉サービスが変わるような社会にも住みたくはない。超AIが管理する社会というのは、突き詰めれば、そのような世界ではないだろうか。そのような極端な管理社会に暮らすくらいなら、私はクレジットカードも携帯電話(スマホ)もインターネットも捨てよう。そして、不便で貧しいだろうが、プライバシーと自由が確保でき、原因と結果の因果関係に納得できる(少なくとも結果を受け容れる・諦めることの出来る)旧来の世界で生きたい。

…と書いている時点で、私は既に技術の変化について行けなくなりつつあるのかも知れない?(本当はIT依存症なんですけど/苦笑)

2017年1月8日日曜日

ジェイムズ・バラット「人工知能 人類最悪にして最後の発明」

年末年始は音楽関連の小説を11冊連発しました。そろそろ平常モードに戻ります。…という訳で、表紙もタイトルもちょっと毒々しい本:


ジェイムズ・バラット(著), 水谷 淳(翻訳)「人工知能 人類最悪にして最後の発明」
<https://www.amazon.co.jp/dp/4478065756/>
単行本: 408ページ
出版社: ダイヤモンド社 (2015/6/19)
言語: 日本語
ISBN-10: 4478065756
ISBN-13: 978-4478065754
発売日: 2015/6/19

[書評] ★★★★☆

もし、人工知能(AI)が自身を人間より偉いと思ったり、人間を邪魔だと考えたら、世界はどうなるのか? 古くからSF作品等で取り上げられてきたテーマを、AI研究者へのインタビューを通じて正面から考察した本。このテーマについては、よく知られるところでは、理論物理学者のスティーヴン・ホーキング氏が「完全な人工知能を開発できたら、それは人類の終焉を意味するかもしれない」、「人工知能の発明は人類史上最大の出来事だった。だが同時に、『最後』の出来事になってしまう可能性もある」と危惧を示し、サン・マイクロシステムズで首席研究員を務めたビル・ジョイ氏が「ロボット工学や遺伝子工学、ナノテクノロジーといった21世紀の強力なテクノロジーが、人類の存在を脅かす」という警鐘を鳴らした。

本書は、人工知能(AI)を脅威とみなす側で書かれた書籍。AIが賢くなればなるほど、その行動原理は人間の理解の及ばないものになる。人間のような倫理観、フレンドリーさを持っていないAIが作られてしまった場合、そのAIは自身の目的を果たすため、我々人間から資源を奪って活動する可能性がある。人類は滅びる可能性が非常に高くなる。…という内容。特にカーツワイル一派に対する批判が度々出て来る(カーツワイルらの人工知能・ナノテクノロジー・ゲノム技術の展望は楽観に過ぎる、AI (を含むテクノロジー)を人工生命や人間の生死に結び付けてしまっている点は「科学」ではなく最早「宗教」だ、とする点は同意出来る;が、この批判姿勢はかなり強硬だ)
非専門家が書いた本としては良くまとまっていると思うが(著者はドキュメンタリー作家)、AIの脅威に関する本質をちょっと外していると思える点もあり、いたずらに非専門家の読者層の危機感を煽るような書き方が多い点は×。

ただ、コンピュータ(AI)が「意識」「感情」を持つと仮定した場合、人間や社会に関する重要な判断を全てコンピュータに任せてしまうと、古くはG・オーウェル(著)『1984年』や、竹宮惠子(著)『地球(テラ)へ…』などのSF作品に描かれているようなディストピア(暗黒郷)を作りかねない、という懸念はおそらく正当だ。本書では、AIの能力が一定以上に高まると、AIは管理区域(スパコンの中)から「逃げ出し」、自発的に「情報収集・学習を重ね」て加速度的に賢くなり、自らの目的を達成するために「地球や宇宙の資源を奪い尽くし」、いずれ人間(そしてあらゆる生命)を滅ぼすと言っている。これは極論にも思えるが、万が一にもこのような事態が起こるのを防ぐ為に、最終的には人間の判断が優先するとAIに教える必要があるだろう。また、本書に示された「アポトーシス」プログラムのように、人間側から定期的に「死刑執行猶予期間延長」を与えられたAIのみ生き永らえさせる(この「恩赦」を得られなかったAIは消去され、研究者は「セーブポイントからやり直す」ことが出来るようにする)という仕組みも有効かも知れない(pp. 316-318)。が、いずれも100%安全とは言い切れないのが頭の痛い所ではある。

まとめると、非専門家に対してAIへの恐怖感を必要以上に煽るような書き方はイタダケナイ。が、AI研究とその発展が伴う危険性について広く知らしめる書籍、また今後のAIが持つ危険性・安全性を考える資料として、一定の価値はあると思う。個人的にも結構興味深く読むことが出来た。

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以下各論(PRO/CONリスト)。

◆PRO (同意できる点、参考になる点)
  • 1950年代からのAI研究の概要と、最近のブレークスルー(ディープラーニングによる認知能力の向上)等に関する記述はよくわかる。
  • AI研究のメインがニューラルネットワーク(ディープラーニングも多階層のニューラルネットワーク)や進化的アルゴリズムに移ってきているという話はよくわかる。これらのアルゴリズムは必然的に「ブラックボックス化」してAIの行動原理が分からなくなり、本質的に安全性が検証されることが不可能であるという意見(第7章)は説得力が高い(脳の神経細胞の結合がわかったところで、その人の性格や行動までは理解できないのと同様)
  • AI開発を強く推し進めるのは、軍事用途(米国ではDARPA=国防高等研究計画局=が多額に出資している)・金融市場(特にHFT=高頻度取引=)とされる。国家の存亡、あるいは組織や個人の富の創出のため、無尽蔵とも思える資金が充てられるのは理解できる。前者(軍事用途)は、たとえば湾岸戦争で戦力配置と物資供給の最適化にAIを用いることで軍事費が大幅に削減できたという実績があり、AI研究にDARPAから多額の出資がされるようになったという。金融用途にはもしかしたらDARPAをも超える資金が充てられているのではないかという分析はおそらく正しい(しかもこれらは特定の個人・組織が秘密裡に開発・運用する/している可能性が高い)。が、ここで開発されるのは金融取引に特化したAIであり、即AGI (汎用AI)に結びつくとは考えにくいが…。
◆CON (同意しかねる点)
  • 突き放した言い方をすると、本書は、未検証の技術が持つかもしれない、未検証の危険性について論じているだけに過ぎないと言える。また、未検証の恩恵と、未検証の危険性とを天秤にかけようとしているとも言える。このような議論にどれ程の意味があるかは、少なくとも現段階では何とも言えない。が、本書(に代表されるAI脅威論)は、AIそのものの研究・開発については勿論、AIの安全性確保に取り組んでいる人・組織に対する研究開発予算をも削減させかねない点が気になる。
  • 人工知能のこれまでのブレークスルーと、AIが「意識」「衝動」を持つようになる可能性、AIが人間の設計や指示とは関係なく勝手に学習進化して「超知能」を持つ可能性、をごっちゃに論じている箇所がある。そもそも人間や動物の「意識」についても解っていないことが多い上に、現在のAI研究の延長上に「コンピュータが意識を持つ可能性」があるかどうかも解っていないのに、無駄に危機感を煽っている感さえある。人間をはじめとする動物の認知モデルにヒントを得たシステムでは(近年話題のディープラーニングもこの範疇)、最終的に人間の脳がおこなっていることを達成するには不十分かもしれない、と本文中にも書かれている(p. 267)。
    • 人間の脳が、多くのサブシステムからなる高度に並列化されたシステムであり、「本能」(闘争/逃走)や「無意識」が非常に重要な役割を担っていることががわかっているが、まだ理解できていない点は非常に多い。参考書籍→マイケル・S・ガザニガ『〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義』(紀伊國屋書店、2014) <https://www.amazon.co.jp/dp/4314011211/>
  • コンピュータが本当に思考しているかどうかについて、IBMの主任科学者D・フェルッチ(人工知能「ワトソン」の開発者の1人)が引用した言葉「潜水艦は泳ぐことができるのか?」を引いているのはある意味面白い(オランダ人コンピュータ科学者エドガー・ダイクストラの言葉、p. 295)。が、現在人間にしか任せられない重要な判断をコンピュータに任せるか、それとも最終的な判断の権利を人間に残すのかは、別の問題だと考えるべきではないのか。
  • サイバー犯罪やマルウェアの脅威(AI的な「賢さ」を持つものが出てきているのは事実)とAIの脅威をごっちゃに論じている部分も多く見られる。勿論、AIがその目的によってはマルウェアを利用したりボットネットを構築したり、サイバー犯罪を行う可能性は充分に考えられるし、サイバー戦争ではそのようなAIが用いられる可能性はある為、注意する必要はある。が、そのようなAIも自らの創造主(設計者)を滅ぼさないように作られるであろうから、人類全体を滅亡させることを過剰に心配する必要は無いのではないか(もっとも、核兵器や生物兵器等とはと異なって、高度に管理されていない環境でもAIは設計・作成可能である為、設計者が不注意で大ポカをする可能性は核兵器・生物兵器等と比べて高いと考えるのは正当だろう。また実際に、AIによる複数のHFT (高頻度取引)システムが金融不安をもたらしたり、イランの核開発設備のみを攻撃するはずだったスタックスネットが外部に漏れたという悪しき先例があるので、充分な用心と対策が必要である点は否定しない)

2017年1月4日水曜日

中山七里「どこかでベートーヴェン」

年末年始モードで音楽系小説が大フィーバー(笑)。「響け!ユーフォニアム」シリーズと「岬洋介」シリーズ合わせて連続11冊(!)。とりあえず、今回で打ち止めにします(次から暫く、従来通り、少し硬めの本を中心にします)


中山七里「どこかでベートーヴェン」
<https://www.amazon.co.jp/dp/4800255678/>
単行本: 332ページ
出版社: 宝島社 (2016/5/25)
言語: 日本語
ISBN-10: 4800255678
ISBN-13: 978-4800255679
発売日: 2016/5/25

[書評] ★★★★☆

「さよならドビュッシー」に始まる探偵ピアニスト・岬洋介シリーズの4冊目にして最新刊。

本書は、4冊の時系列の中では一番初めにあたる。音楽科の高校生として、我らが主人公・岬洋介が登場する。語り部は岬洋介と同じ高校のクラスメイト、鷹村亮。新設されたばかりの高校の音楽科、第2期生。ここで岬洋介は転校生として登場、天災と人災に巻き込まれつつも見事に解決。

ミステリー作品を著者から読者への挑戦と捉えると、今回の作品の難易度はそれほど高くない。犯人は、皆とは異なる行動を取っていた人。人間関係も特殊な人で、動機も比較的解り易い(ちょっとヒネリはあるが)。そういう訳で、本書で読者は探偵高校生・岬洋介クンと一緒に推理を行うことが出来る。語り部の証言で混乱させられる部分があるものの(鷹村亮クンは他人への好意により一部事実を隠してしまう)、それまでに出てきた描写との矛盾から(違和感を感じさせる)、読者は犯人はすぐに察しがつく。難しいのは、犯行の場所・方法だが…。シリーズ1冊目・『さよならドビュッシー』のような大ドンデン返し(究極の叙述トリック!)は無く、構成は比較的平坦で素直に読み易い。

さて、本作も演奏される楽曲と心理状態とを交互に描写し、曲調(有名ドコロ)を巧みに利用して読者に強いインパクトを与える書き方。毎度のことながら非常に上手だと思う。読んでいると、聞こえていない筈のピアノ曲が聴こえて来るような気がする。が、BGMを聴きながらでは読みにくい本というのも珍しい(笑)。(←私は読書中はクラシックやスムーズ・ジャズを聴いていることが多いが、岬洋介シリーズを含む幾つかの作品=音楽系の小説・コミック=を読む時は、BGM無しが良いこともあるようだ。)

一部ネタバレになるのだが:前作までとの関係が明らかになる箇所があり、シリーズを続けて読んでいる読者にとっては嬉しい限り。
  • プロローグで、前作「いつまでもショパン」(シリーズ3冊目)の事件に関するTV報道が出て来る。ニュースで流れる「岬洋介」に今回の語り部・鷹村亮が衝撃を受け、10年前の高校時代を回想する…という形をとっている。
  • 本作までに明らかにされていることだが:探偵ピアニスト・岬洋介は、突発性難聴という持病を持っている(音楽家としては“爆弾”を抱えているに等しい)。本作では、この発症に関するエピソードが描かれおり、前出の作品の設定に対する説明回ともなっている。
  • エピローグには、「僕はあの夏のことを包み隠さず書き残そうと思う。(……中略……) 僕はパソコンを起ち上げると、真っ白な原稿に早速タイトルを打ち始めた。『〈どこかでベートーヴェン〉中山七里 』」。語り部が回想しながら書いた作品がこの本です…的なスタイルは最近の流行なのだろうか?(←最近の他の作品でも似た様式を度々見るのだが…。)
1冊目「さよならドビュッシー」と、2冊目「おやすみラフマニノフ」でも多視点的描写でストーリーが繋がっていた。シリーズ物で他作品でのエピソードと関係ある内容を書いたり、時間の流れを意識させる書き方は、最近のシリーズ物によく見られる技巧かも知れない。が、とにかく上手い書き方だと思う。

音楽ミステリーとしてはカナリ面白い。トリッキーな技巧(叙述トリックなど)は使われておらず、ミステリー初心者にも読み易いだろう。楽曲の描写を巧みに使った心理表現が瑞々しいので、特に音楽好きな人にオススメ。

・  ・  ・  ・  ・

探偵ピアニスト「岬洋介」シリーズ既刊リスト(Amazonリンク&書評へのリンク)
  1. 「さよならドビュッシー」Amazon→単行本文庫本拙書評
  2. 「おやすみラフマニノフ」Amazon→単行本文庫本拙書評
  3. 「いつまでもショパン」Amazon→単行本文庫本拙書評
  4. 「どこかでベートーヴェン」Amazon→単行本(※未文庫化)、(拙書評は本記事)
  5. .「さよならドビュッシー 前奏曲(プレリュード)~要介護探偵の事件簿」Amazon→単行本文庫本、(未読)

2017年1月3日火曜日

中山七里「いつまでもショパン」


中山七里「いつまでもショパン」
<https://www.amazon.co.jp/dp/4800220432/>
単行本: 332ページ
出版社: 宝島社 (2016/5/25)
言語: 日本語
ISBN-10: 4800255678
ISBN-13: 978-4800255679
発売日: 2016/5/25

[書評] ★★★☆☆

いよいよ3冊目になったピアニスト「岬洋介」シリーズ、今度の舞台はポーランド。5年に1度開催されるショパン・コンクール。その前後を狙うようにして、ポーランド大統領専用機の爆発事件、首都ワルシャワでの爆弾テロ、殺人事件。今回、本シリーズの主人公・岬洋介は、今回はショパン・コンクール出場のためにポーランドを訪問中。1次・2次予選を圧倒的な表現力で勝ち進むが、ファイナル(最終選考)では惜しくも入賞を逃す。が、連続するテロ事件の犯人と真の目的を見抜き、あわや次の惨事!となる直前で…(あとは本書を読んで下さい/笑)

登場人物の心理描写や、楽曲に関する説明や奏法の説明が非常に細かいのは前々作・前作同様。たった数分の楽曲の描写に何ページも割いていて、音楽以外の部分が淡泊というかテンポが良いというか、はこの作家さん(中山七里さん)特有の表現法なのかも知れない。

なお、日本人ピアニストの表現力に対する批判は結構辛辣(今回の日本人コンクール出場者2名はこの枠外として描かれていたが)
  • 日本人コンテスタントはどこのピアノ・コンクールでも押しなべて真面目だ。いや、真面目と言うより面白味がない。機械のようにノーミス、楽譜に記された指示も完璧にこなすが音楽的な興趣に欠ける。技術的な間違いはないが、再び聴きたいと思う演奏ではない――そういった評価が半ば定説化しており、ヤン自身の印象も同じだった (p. 128)
  • 日本人コンテスタントに対する印象はここ数十年の間に大きな変動がなかった。真面目であるが面白味のない演奏。あたかも、かの国の特産品である工業用ロボットに演奏させたかのような正確なだけのピアノ。 (p. 175)
そう言えば、シリーズ1作目『さよならドビュッシー』でも、日本のピアノ教育の権威主義、ことに「ハイフィンガー奏法」に対する批判的記述があったように記憶する。これは、19世紀後半当時、鍵盤の重かったピアノに合わせた奏法で、現在のピアノでは、音色のばらつきや表現力の面ではマイナス面が多いとのこと(私自身に関してはピアノの素人なので実感を持って語れないのだが)

閑話休題。

今回、活動範囲を海外に移したのは良い。ポーランドの音楽を語る上で、大国ロシアと軍国ナチス・ドイツに挟まれた地理的条件によって、どれだけ酷い目に遭わされてきたかを語るのも良い。しかし、奏者が未来をその手に掴み取る(あるいは業界が新たな才能を見いだす)華々しい筈のコンクールと、テロ・戦争(イラク・アフガニスタン)・殺人事件をある意味強引に結び付けて描くのは…。今の時代だからこそネタになるのかも知れないが。

全然作・前作の登場人物がチラッと出てきたりして、シリーズ物の面白さはこういう所にもあるなぁと思った次第。まあ、前々作・前作に引き続き、音楽好き・ミステリー好きは楽しめるかも知れない。

・  ・  ・  ・  ・

「岬洋介」シリーズ・既刊
  1. 「さよならドビュッシー」(Amazonリンク→単行本文庫本)
  2. 「おやすみラフマニノフ」(Amazonリンク→単行本文庫本)
  3. 「いつまでもショパン」(Amazonリンク→単行本文庫本)
  4. 「どこかでベートーヴェン」(Amazonリンク→単行本(※未文庫化)

2017年1月2日月曜日

中山七里「おやすみラフマニノフ」


中山七里「おやすみラフマニノフ」
<https://www.amazon.co.jp/dp/4796685820/>
文庫: 372ページ
出版社: 宝島社 (2011/9/6)
言語: 日本語
ISBN-10: 4796685820
ISBN-13: 978-4796685825
発売日: 2011/9/6

[書評] ★★★★☆

前作「さよならドビュッシー」で鮮烈なデビュー(?)を飾った、探偵ピアニスト「岬洋介シリーズ」の2冊目。

本作の語り部は貧乏な音大生でヴァイオリニスト。プロへの切符を掴むため、定期演奏会の主席奏者(コンサートマスター)の座をかけたオーディションに出る。…と、そんな学園で、演奏会で使われる予定だった2億円のチェロ・ストラディバリウスが盗難、その後も度々事件が起き…。

ピアニスト・岬洋介だけでなく、他の人物も何人かが前作と重複する。同じ演奏会でのピアノ交響曲の演奏シーンも重複するが、これを別の視点から描いているのが面白く、同一人物について見る立場により内面描写が少し違うのも興味深い。

心理描写が細やかなのも、音楽(曲調・演奏)についての深い描写も前作同様。ただ、前作に比べて、演奏家自身の「狂気」成分は少なめ。また、伏線~回収も少な目。前作より軽く読める。なお、これは意図的な技法なのだと思うのだが、登場人物の動きや発言に一切の無駄が無く少々不自然(少なくとも作品世界の表現に不要な言動は皆無)。これによって、人物の動作に不自然な点(大抵は伏線となっている)を目立たせているとも言える。

音楽好き、ミステリー好きの多くに薦められる本だと思う。

・  ・  ・  ・  ・

参考:「岬洋介シリーズ」既刊&既読本の書評URL
  1. 「さよならドビュッシー」
    単行本:<https://www.amazon.co.jp/dp/4796675302/>
    文庫本:<https://www.amazon.co.jp/dp/4796679928/>
  2. 「おやすみラフマニノフ」
    単行本:<https://www.amazon.co.jp/dp/4796679014/>
    文庫本:<https://www.amazon.co.jp/dp/4796685820/>
  3. 「いつまでもショパン」
    単行本:<https://www.amazon.co.jp/dp/4800205514/>
    文庫本:<https://www.amazon.co.jp/dp/4800220432/>
  4. 「どこかでベートーヴェン」
    単行本:<https://www.amazon.co.jp/dp/4800255678/>
    文庫化:未

2017年1月1日日曜日

中山七里「さよならドビュッシー」

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

新年1発目はユルめで行きます(笑)。


中山七里「さよならドビュッシー」
<https://www.amazon.co.jp/dp/4796679928/>
文庫: 415ページ
出版社: 宝島社 (2011/1/12)
言語: 日本語
ISBN-10: 4796679928
ISBN-13: 978-4796679923
発売日: 2011/1/12

[書評] ★★★★★

第8回『このミステリーがすごい!』(2009年)大賞大賞受賞作。少し前の本なのと、映画化・TVドラマ化もされた作品の原作なので、既読という方も多いかも知れない。

まず最初に:メチャクチャ面白い! 翻訳家・評論家の大森望氏が解説(巻末)に書いている通り、まさに「音楽+スポ根+ミステリのハイブリッド」。著者が無類の音楽好きだからだろうか、音の描写が非常に瑞々しい。クラシックの有名なピアノ曲が多いからかも知れないが、文章を読んでいるだけで楽曲が頭の中で鳴り響くようだ。

心理描写が細やか。登場人物の動作や、語り部(主人公、“あたし”)の精神状態の表現が巧み。加えて、楽曲やピアノ演奏に関する表現も豊かで、ミステリー好きでなくても音楽好き(特にピアノ弾き)には非常に楽しめる1冊だと思う。ただこの主人公、火事により全身大火傷とか大好きな祖父と仲良しの従姉妹を喪うとか、大怪我からの社会復帰とか高校(音楽科)でのいじめとか、壮絶な経験をしているとはいえ、15~16歳の女の子が世の中を達観し過ぎている。音楽の描写等を除くと、かなり殺伐とした世界観なので、そういうのが好きでない人は読まない方が良いかも知れない。エンディングに向けて、スポ根的と言うよりもむしろ狂気の世界に入って行く。ラストはドンデン返し。これは究極の叙述トリック。この展開、好き嫌いがハッキリ分かれる所かも知れない(でもバラしたらつまらないので書きません/笑)

所々に登場人物の動作が不自然な場所があったりするが、これらの多くは伏線。回収される場面で、「どこの描写だったかな…」とページを遡ってしまうと、読書が進まない進まない(笑)。お陰で、400ページ少々の本ですっかり睡眠不足。たっぷり楽しめた。

音楽好き(ピアノ弾き)、ミステリー好きの多くに薦められる本だと思う。

・  ・  ・  ・  ・

ネタバレがあるので、以下は読後に見ることをお勧めするが、Wikipediaに本作品の構想や、著者プロフィール(結構ユニーク!)が書かれている。興味のある方はコチラもどうぞ:
  • 本作品について→Wikipedia
  • 著者:中山七里氏(48歳で作家デビュー!)について→Wikipedia
余談:本書を1巻とするピアニスト「岬洋介シリーズ」は、銀座ヤマハの3F (楽譜・書籍売り場)の店員さんもイチ押しのシリーズとのこと。あんまりステキな笑顔で薦められたので、1冊だけ試しに読んでみようと思ったのが…つい全巻買ってしまったではないか(笑)。(←他の本も近々レビューします)。以下にAmazonリンク付けておきます。
  1. 「さよならドビュッシー」(単行本文庫本)
  2. 「おやすみラフマニノフ」(単行本文庫本)
  3. 「いつまでもショパン」(単行本文庫本)
  4. 「どこかでベートーヴェン」(単行本) (※未文庫化)