2013年4月28日日曜日

リー・M・シルヴァー「人類最後のタブー―バイオテクノロジーが直面する生命倫理とは」


リー・M. シルヴァー (著), Lee M. Silver (原著), 楡井 浩一 (翻訳)
「人類最後のタブー―バイオテクノロジーが直面する生命倫理とは」
<http://www.amazon.co.jp/dp/4140811862/>
単行本: 540ページ; 出版社: 日本放送出版協会 (2007/03); ISBN-10: 4140811862; ISBN-13: 978-4140811863; 発売日: 2007/03
[書評] ★★★★☆
 面白い! この1語に尽きると思う。
 遺伝子工学は人間の“種”としての発展にとっても、今後避けては通れないという話。 著者は遺伝子組み換え等について、積極派でも消極派でもなニュートラルな立場だと言うが、その意見は先鋭的だ。 今後数百年、数千年、数百万年にわたって人類が繁栄するには、バイオテクノロジー、 特に遺伝子工学を“賢明に”利用して、生物医学と生物圏を地球規模で管理していく必要があると説く。
 人類は有史上、農産物や家畜を作るために、種の掛け合わせをするなどして地球上の生物のうち有用なものを改良してきた。 遺伝子組み換えは、この延長線上にあるものであり、避けては通れないものだと言う。ヒト以外の種に対する遺伝子工学は、近いうちに実験レベルではなく、実用レベルで使われるようになるだろう。 現に遺伝子組み換えの作物(大豆、トウモロコシなど)は既に世の中に出回っている。 生態系への影響が十分確認されたか否かはよく分からないが、とにかく既に使われ始めてしまっている。
 問題になるのは、作物・家畜の枠を超えた部分への遺伝子工学の適用だ。 特に、ヒトの胚に対する遺伝子操作が挙げられる。 重篤な病気を避ける為であれば実施は納得できるが、たとえば頭のいい子を作りたいというような優生学的な願望にこの技術を広く応用するとなると、 歯止めがなくなり人間社会全体にどのような影響が出るかは予測できない。
 キリスト教、ユダヤ教、イスラム教といったアブラハム宗教が中心となる社会の中では、 人間の生命、生死の尊厳、霊性といったものに対する畏怖が根強く残っており、ヒトの胚に対する遺伝子治療、あるいは優生学的な遺伝子操作は強く進められることはないと考えているが、 東アジア・東南アジアの企業がそういうことを始めるのを止める力は無い。

 遺伝子組み換え、遺伝子操作に対する嫌悪感の本質は何だろうか。それは、「何が起こるかわからないし、影響が十分に確認出来ていない」ということに尽きると思う。 言うなれば、原子力エネルギーの活用と同じなのだ。 原子力エネルギーの場合は、放射性物質の管理などもあり、大規模な資本投下を行なわないと事業化は難しい。また、武器への転用なども考慮し、世界の監視の下、国家が管理しなければならない技術となっている。しかし、遺伝子操作については、技術革新に伴い、ソコソコの規模の資本で行なうことが出来るようになってきている。 本書には書かれていないが、家畜のクローン化やヒトの胚に対する遺伝子操作は既に行なわれているのかも知れない。おそらく、キリスト教的信条に縛られない、東南アジア辺りのバイオテクノロジー企業によるものになるだろう。

 読んでいて度々連想したのは、「風の谷のナウシカ」(映画じゃなくて原作の方)に出てくる「旧世界のテクノロジー」だ。 家畜を含め多くの動物を作り変えただけでなく、汚染されてしまった地球を浄化するために腐海を生み出した。そして、旧文明の人間たちは、人類を含めた全ての生物を汚染された大地にも適用できるよう、人工的に作り変えた。 作り変えられた生物は、大地の毒なしでは生きていけず、 土鬼(ドルク)の聖都シュワの墓所に隠された旧世界のテクノロジーは、 地球が浄化された後に清浄な大地に適応した人間を作り戻す計画だった。。。

 また、人間の臓器のスペアの製造にブタを使うという話。 「攻殻機動隊」では、ユーザの遺伝子情報から、臓器のスペアをブタの中に作る企業が出てくる。 攻殻機動隊は1995年発表の作品であり、本書の発行より遥かに前であるが、 「攻殻機動隊」が先端技術をリサーチして作られたことがよく分かる(あるいは、たまたま、かも知れないが)。

 いずれにせよ、非常に面白い本である。バイオテクノロジーとサイバーテクノロジーの行く先を占う本として、 興味のある人には最上級クラスでお薦めができる本だ。

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