リチャード・ドーキンス (著), 日高 敏隆 (翻訳), 岸 由二 (翻訳), 羽田 節子 (翻訳), 垂水 雄二 (翻訳)
「利己的な遺伝子 <増補新装版> [単行本]」
<http://www.amazon.co.jp/dp/4314010037/>
単行本: 592ページ; 出版社: 紀伊國屋書店; 増補新装版 (2006/5/1); ISBN-10: 4314010037; ISBN-13: 978-4314010030; 発売日: 2006/5/1
[書評] ★★★★★
言わずと知れた有名な本なので、解説は不要かも知れない。 学生の時(当時は第2版)に読まなかった本を、今更ながら読んでみた(同じドーキンスの「神は妄想である」の方を先に読んでしまった…)。
著者は、生物は「遺伝子の乗り物(ヴィークル)」、遺伝子を存続させるための「生存機械」であると言う。 生物の多くの活動――特に生殖に関わる活動――は、遺伝子が自分のコピー(自分に近いコピー)を遺そうという働きのなせる技だという。 自然淘汰の選択は種の間でなされているのではなく、遺伝子(DNAに含まれる、遺伝単位)の間でなされているというのが著者ドーキンスの主張。
ドーキンスによると、人間を含む動物の自己犠牲的な利他行動を進化させたことも、遺伝子が自分のコピーを遺すためになせる技だという。そういう振る舞いをもたらした遺伝子がより多く残り易いという傾向はあるかも知れないが、 人間を含む多くの生物が全て合理的判断に基づいて行動しているのではない以上、これは言い過ぎである(暴論と言っても良いだろう)。 物事をうまく説明できるからと言って、その物事を全て説明したことにはならないし、その物事の唯一の根拠なんかではない筈である(ということはドーキンス自身が一番よく解っていることだと思うが)。
分子生物学者・福岡伸一氏は、ドーキンスを「遺伝子原理主義者」と言ったが、本当にその通りである。 原理主義的理論武装(屁理屈?)はバッチリだが、頭から信じるのではなく、批判的な目も持って読みたい1冊だ。
ちなみに、本文が400ページ余り、補注に(小さい字で)100ページ近くを割いている。 補注は文字が小さいことを考えると、情報量は本文の1/2近くなるのではないだろうか。この補注もナカナカ読みごたえがある。 特に、論敵・S.J.グールドの主張に対する応酬を度々行っている。グールド以外の著作に対する批判も多いのだが、こういうことを書くから論敵を増やしちゃうんだろうな(笑)、とも思える。
本書(原著第3版)は13章からなっているが、第12・13章は第2版出版時に加筆されたもののようである。どうりで、11章までの議論との一貫性にやや欠ける感がある(初版の最終章=第11章=で文化的な遺伝「ミーム」に関する議論で書籍としての大団円を迎えているのだ)。なお、第12章では生物の集団におけるゲームの理論の適用を論じており、これだけで知的に面白い1冊の本になりそうな内容ではある。また第13章はドーキンスの別著「延長された表現型」のエッセンスを書いてあり、これだけでも十分読み応えがある。1つの遺伝子の表現型効果はその生物の個体の体内にある必要はなく、たとえばビーバーの作るダム等に代表される、個体の外の生物/無生物に対する作用や、寄生という形で他の生物に対する作用も、この「表現型」に含まれるという。これら広義の「表現型」で他より優れたモノが、有利に自己複製を重ねるという。また第13章では高等生物が胚(有性生殖の場合は受精卵)というボトルネックを介して世代を重ねる意味についても述べており、非常に興味深い。
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