2013年10月31日木曜日

中沢 啓治 (著)「はだしのゲン 1 非国民じゃないぞ編」「はだしのゲン 2 ピカドン地獄編」 (コミック)

 

中沢 啓治 (著)「はだしのゲン 1 非国民じゃないぞ編 (SHUEISHA JUMP REMIX)」
<http://www.amazon.co.jp/dp/4081090084/>
ムック: 532ページ; 出版社: 集英社 (2005/7/16); ISBN-10: 4081090084; ISBN-13: 978-4081090082; 発売日: 2005/07/21(第1刷)、2013/09/18 (第8刷)

中沢 啓治 (著)「はだしのゲン 2 ピカドン地獄編 (SHUEISHA JUMP REMIX)」
<http://www.amazon.co.jp/dp/4081090181/>
ムック: 548ページ; 出版社: 集英社 (2005/8/1); ISBN-10: 4081090181; ISBN-13: 978-4081090181; 発売日: 2005/08/06(第1刷)、2013/09/18 (第7刷)

世界唯一の原爆被爆国である日本の忘れてはいけない作品。帝国軍人が戦地で行った残虐行為の記述など、問題とされた箇所は削除されているが、概ね原作のままとなっている(アインシュタインが原爆開発に参加している等、事実と異なる記述も残っているが)。

今年の夏に閲覧制限のニュースが出て話題になった後に再度発売されるなどあざとい売り方ではあるが…。

2013年10月12日土曜日

ポール・キメイジ「ラフ・ライド―アベレージレーサーのツール・ド・フランス」


ポール・キメイジ (著), 大坪 真子 (翻訳)
「ラフ・ライド―アベレージレーサーのツール・ド・フランス」
<http://www.amazon.co.jp/dp/4915841863/>
単行本: 348ページ; 出版社: 未知谷 (1999/05); ISBN-10: 4915841863; ISBN-13: 978-4915841866; 発売日: 1999/05
[書評] ★★★★☆

昨年、自転車界は大いに揺れた。ツール・ド・フランスを1999~2005年7連覇したランス・アームストロングが、ドーピング問題により、後に98年8月以降の記録を取り消され、自転車競技会からの永久追放処分となったのだ。これについては、タイラー・ハミルトンによる“あの本”に詳しい。ハミルトンの本も早速購入したのだが、ドーピング問題の根深さ、今と昔を見るために、ハミルトンの本より先に本書を読んだ、というわけだ。

さて、本書の著者についての簡単な説明。本書の奥付より引用:
  • 本書の著者、ポール・キメイジ(Paul Kimmage)は1962年ダブリン生まれ、父もアイルランド代表となった自転車競技選手。10歳でレース用自転車を与えられるとメキメキ頭角を現わし、'81年アイルランドチャンプとなりアマチュア生活に入る。'84年渡仏、'85年プロデビュー、翌'86年ツールを走り完走。選手として走る傍ら、レース日記を各紙に発表。'89ツールを第12ステージでリタイアし、そのまま選手生活にも別れを告げ、スポーツライター、ジャーナリストとして再出発し、現在に到る。引退の翌'90年本書を発表。薬物に関する告白等あまりのインパクトに当時は本書自体がタブー視され絶版となる。昨今のドーピング問題の表面化に伴い、早過ぎた本書が'98年に再刊され、話題を呼んでいる。
◆国内トップ選手→プロになってもただのアシスト選手、という悲哀

ツール・ド・フランス。世界中のトップ選手が集まり、世界最高峰のレースを見せる。20ほどのチーム、全部で200人前後の選手がスタートをする(出場チームの数や1チームの人数は時々変わる)。世界中の数億人のファンが見ているとも言われ、オリンピックやワールドカップに並ぶ、世界のスポーツの祭典である。

しかし、その中で脚光を浴びるのは、ごく一部の選手だけだ。アマチュア時代に国内トップだった選手が、世界をステージにした途端、末端の選手になってしまう。

プロになった瞬間、チームに貢献することを求められ、多くの場合、チームの最有力選手(エース)を勝たせる為に働くことを要求される。彼らは、エース選手のペースメーカーになり、風除けになり、水や食糧を運搬する係となる。エース選手がパンクした場合にはタイヤを譲ることさえある。しかし、こうした姿は放送されることは殆ど無いし、そういった知られざる選手が出場選手の大部分なのだ。

トップ選手も同様だが、アシストの選手にも、体調が良い日もあるし、悪い日もある。来年もプロとして飯を食う為に、大きなレースでチームに貢献する必要があるし、大きなレースへの出場枠を取る為に、小さなレースでも良い成績を残す必要がある。

※プロになった意識、渡欧した際の心情、グランツールに出た感激、1アシスト選手としての悲哀については、近代ツール・ド・フランスに日本人として初出場した今中大介さんによる、「ツールへの道」(未知谷、2000/06)にも詳しい。

◆薬物について

著者キメイジは、子供の頃からの躾によるものか、宗教観によるものか、それとも善悪に対する独自の判断基準からか、とにかく薬物というものに対して強い拒絶を示していた。プロになった当初から色々な薬品を使っている選手は目にしたが、自分だけは絶対に手を出さない、と決めていた。「プロとしてどうか?」という観点からは色々な意見があろうが、「善人であろうとする1人の人間」として見ると共感出来る。最初はビタミン剤など、ごく普通のサプリメントにまで拒絶感を示した位である。

そのうち、経口摂取するビタミン剤などは摂るようになるのだが、注射に対しては、薬物については勿論、ビタミン・ミネラルの類であっても強い嫌悪感を抱いていたことを書いている。これは著者が無知であったことを示すものでもあるが、本人なりに「越えてはいけない一線」を持っていたことは確かだろう。

なお、著者キメイジは、'87ツールをリタイアした後、この「一線」を越えてしまった経験についても書いている。クリテリウムに出場する際にアンフェタミンを4回使用した(そして、その後は全く使っていない)とのこと。アンフェタミンを使用した際の昂揚感、走る上での「効果」、その後の罪悪感。

◆そもそも、自転車競技で何故、ドーピング問題がこうも度々噴出するのか。

理由を挙げればそれこそキリが無いのだろうが:
  • そもそも、自転車レース自体が過酷すぎて、多くの選手にとって、薬物無しでは「やってられない」。
  • 上手に使えば薬物の使用は発覚しにくい:
     薬物を使うタイミングや量もそうだが、日々のレースの勝者と総合成績上位者以外に対するランダム検査が無い日が事前に明らかになってしまっている。エースを勝たせる為のレースをしているので、アシスト選手がよりよい働きを見せる為に薬物を使用しても(チームの外へは)発覚しにくい。また、ホルモン剤など、用法・容量を間違えると悲劇的な結末を招くものであっても、白黒の判定をつけにくい(判定しにくい)薬物があったり、カフェインのように“適量”ゾーンが非常にグレーな物もある。
  • 自転車競技(ロードレース)がチームレースであり、単純な1対1の勝負でなく、色々な駆け引きがあり、勝負の流れが非常に複雑である:
     レースでの最大目的はチームのエースを勝たせることであるが、アシスト選手の力が不十分な時などには、賞金の分け前を餌に、他チームの選手と取引することもある。このことが、ロードレースを、単純なスポーツから複雑なものにしている。そして、選手は「カネ」の為に、身を粉にして働き、場合によって薬物にも手を出すのである。
  • チーム内に薬物使用に対して寛容な雰囲気がある場合、エースを助ける為にアシストが薬物を使うことを半ば強要するような空気が起きることがある。
  • レース主催者、当事者(選手・監督・レース関係者)、スポンサー等のカネの流れがある:
     レースが純粋なスポーツの最高峰であるという側面よりも、ビジネスの側面が強いということ。つまり、そこにカネが動く限り、内側の人たち(チームスタッフ、スポンサー、レース主催者)はドーピングを隠蔽する構造になっているということ。
さて。

薬物使用について、表向きは、
  • ドーピングは短期から長期に及ぶ副作用が選手の心身に悪影響を与えることが知られていて、単に競技の公平性を担保する目的のみならず、競技者等の安全も目的として禁止されている。
ということになっている。しかし、実態は、
  • 選手は競馬馬、あるいはサーカスで曲芸をやらされる動物のような存在(つまり見世物)であり、スポーツというより寧ろショービジネスとなっている

と言えるのではないだろうか。この辺りの構造を根本的に変えない限り、ドーピング問題は決して無くならないだろう。

なお、特記しておくべき点がある。ツール・ド・フランス(を始めとするUCI公認レース)では、今でこそ、禁止薬物の仕様が発覚した場合には半年~1年のレース参加禁止、最悪の場合は自転車競技界から追放となっているが、80年代半ばまでのツール・ド・フランス(を始めとする自転車競技)でのペナルティは総合タイムへの加算程度であった。こういった過去の経緯も、当事者(特に選手を卒業してレース関係者となった人たち)の意識の低さの原因ともなっていよう。

◆本書が発表当時叩かれた理由

本書は、誰がクロで誰はシロと、ハッキリとは書いていない。自分が「一線を超えた」経験は書いているが、他人については特定しない書き方をしている。ただ、筆者が所属していたプロチーム・RMOは薬物使用に対して拒絶的ではないことが分かるし、他チームも含め、多くの選手が薬物使用の現実を知っていたことを書いている。

自転車選手全てが薬物を使用したとは書いていない。しかし、薬物を使用していた側から見れば、そう読めるのかも知れない。

また、自転車界(主催者・選手・レース関係者・スポンサー、他)は業界がダメージを被ると判断し、叩いたのかも知れない。

いずれも、外側のさらに外側の素人が見た主観に過ぎないが。

◆その他、雑感など

今でこそ有名選手がTwitterやブログで日々のトレーニングの状況、参戦状況などを「実況」してくれているが、本書は(特にツール・ド・フランスに関するくだりは)日記調で書かれており、生々しい話が読める。文章も読み易く、ファンとしては嬉しい限り。

ところで、著者キメイジは、当時から一部のチームでは当然のように行なわれていた組織によるケアや科学的なトレーニングをあまりしていないように読める。そのような選手が(エースにはなれなかったとしても)、22歳で渡仏した翌年から5シーズンにわたりプロ生活を送ることが送ることが出来た、というのは驚異に値すると思う。

あと、これだけ薬物が蔓延している(ように読める)のを知ってしまうと、自転車レースの観戦が面白くなくなってしまうのも事実だろう。1日、絶不調で走っていた選手が、翌日絶好調でステージ優勝してしまう様子など、放送当時は「奇跡的なパフォーマンス!」と感激してTV観戦していた(私も随分子供だったと思う)、本書を読んだ後にそういう映像作品を見ると、「コイツ、ヤッてるんじゃねぇか?」と疑いの目で見るようになってしまう。

そういう見方しか出来なくなったら、素直に「楽しくない」よね。そういう疑惑を向けられた選手と同じブランドの自転車に「乗りたくない」よね(10年位前はサイクリングをしているとそこら中で見られた「TREK」社製ロードバイク、最近は全然目にしなくなりました)。翌シーズンの自転車レースもTV観戦しなくなるかも知れない。自転車雑誌も読まなくなるかも知れない。

憧れていた選手が、もしサーカスの象や火の輪くぐりをするトラたちと同じ存在だとしたら? 100年の恋(?)憧れ(?)も醒めるよね。同じように走りたいと思わなくなるよね(まぁ実力的には「同じ走り」はまず無理なんですけど、格好だけでも同じように走りたいというのがファンの心情でしょう)

まぁ自分の場合、(年齢的なものもあって)「競技」としての自転車ではなく、「楽しみ」としてのサイクリングは当分続けますよ。でも、新しハードウェアとかを買う意欲は、正直、ダダ堕ちですね。

こうやってファンが離れて行くんだなあ。。

2013年10月7日月曜日

海堂 尊(著)「死因不明社会―Aiが拓く新しい医療」



海堂 尊(著)
「死因不明社会―Aiが拓く新しい医療 (講談社ブルーバックス)」
<http://www.amazon.co.jp/dp/4062575787/>
新書: 280ページ, 出版社: 講談社 (2007/11/21), ISBN-10: 4062575787, ISBN-13: 978-4062575782, 発売日: 2007/11/21
[書評] ★★★☆☆

現役の医師であり小説家でもある海堂尊氏が、

  • 日本では死者の解剖が少ない…日本における死者の解剖率は2パーセント台、残り98パーセントは体表から見た検案だけで死亡診断書が書かれている。また、変死体についても解剖率がわずか9パーセントにすぎない

ということを問題視して著した作品。解剖が少ないということは、

  • 死者の本当の死因がわからないままのことが多い
  • 事故・事件による死亡が隠蔽される可能性がある
  • 医学の発展にとっても良いことが無い

という観点から書いている。

本書は、ノン・フィクションとしては珍しく、筆者のヒット作「チーム・バチスタの栄光」(単行本文庫・上文庫・下)やその後のシリーズ作に登場する架空の人物、厚労省官僚の白鳥圭輔室長(架空の人物)に対して、ジャーナリストがインタビューを行っている、というカタチで解説を行なっている。

少々乱暴ではあるが、本書の要旨を1文でまとめると、

  • 全ての死者について、(解剖実施の有無にかかわらず)画像診断を行いなさい!

ということに尽きると思う。画像診断とは、X線やMRIによるCTスキャンを指すが、これを行なうことによって、

  • 解剖の要否が判断できる
  • 体表から見た検案だけでは見逃してしまうような死因が解る
  • 事故・事件等の死亡を明らかにすることが出来る
  • 情報の蓄積により、医学の発展にも寄与する

というメリットがあるという。

本書では、オートプシー・イメージング(Ai)という概念/手法を提案している。すなわち、全ての死者に対して、まず画像診断を行い、その結果から必要に応じて解剖による診断を行なうという手順だ。解剖が必要と判断された場合には、解剖の必要性について、遺族への説明もし易いとのこと。

しかし、医学の発展等に寄与するとは言っても、遺族にとっては出来れば遺体は切り刻まれたくない、というのが実際の心情であろう。

本書は、解り易い解説で、Aiの必要性について説く。医学の発展云々は、医療現場の当事者にとっては願いであり、本書での主張も理解できる。しかし、Aiにより解剖が必要と判断された場合について、本当に遺族が解剖の実施を受け容れるか? 説得力が不十分ではないか? その辺り、ちょっと疑問も残る感は否めない。