2012年7月16日月曜日

デヴィッド・タカーチ「生物多様性という名の革命」

デヴィッド・タカーチ (著), 岸 由二 (編集), 狩野 秀之 (翻訳), 新妻 昭夫 (翻訳), 牧野 俊一 (翻訳), 山下 恵子 (翻訳)
「生物多様性という名の革命 (単行本)」
<http://www.amazon.co.jp/dp/4822244865/>
単行本: 436ページ; 出版社: 日経BP社 (2006/3/16); ISBN-10: 4822244865; ISBN-13: 978-4822244866; 発売日: 2006/3/16
[書評] ★★☆☆☆
 本書は、近年米国を中心に近年ホットなテーマとなりつつある、「生物多様性(biodiversity)」に関して、 現状やその混乱状況を伝える本。 生物多様性を保全するということは、環境を保護する活動とも言えるが、 特定の種や地域に限定した「環境保全」ではなく、 種の中の多様性・種と種の間の多様性・地域を超えた多様性、 全生物の複雑なつながりを保全するということを意味するようだ。
 自然が何故保存されるべきかという問いに対して、本書は答えを示していない。「自然はその美しさゆえに保存すべき」という主張は、 美しいと感じて美しさに価値を見いだす人間を中心とした傲慢な主張であると言う。また、遺伝子などの研究対象としての「知的宝庫」だからという主張もあるが、これも人間中心的な傲慢な主張だ。また、人類がこの地球上に持続的に存在するために必要だから、という主張もあるが、(この主張自体は私にも否定できない主張ではあるが)人間中心的な“傲慢な主張”の枠を出ていない。この他にも「倫理的に」云々の主張はあるが、何の倫理か…と考えると、いずれも人間中心的な観点から一歩も踏み出せていないように思えるのは気のせいだろうか。 「人間中心的な傲慢な考え」を超えた視点に至っていない辺りは、このテーマがまだ揺籃期(混乱期?)にあることを示していると言えるだろう。 本書でも正直にこのことを述べている。すなわち、『「持続可能な開発」とは一種の撞着語法であり、 「生命政治的な動機による、きわめてあやふやなパラダイム」にすぎない』としている。
 なお、自然破壊が進行しつつあるコスタリカに、近年、コスタリカ国立生物多様性研究所(INBio)という組織が設立され、 生物多様性を保全するための活動が開始されていることを詳細に述べている。しかし、この組織は種々の生物から製薬に役立つものを抽出するという経済活動を通じて存続している。 組織が組織として持続するためには、何らかの経済的効果をもたらさなければならないのは理解できるとしても、 経済的に存続しうるということ自体、「人間中心の傲慢な態度」から脱却できないのかも知れない。
 最後になるが、本書の翻訳文は、お世辞にも読みやすいとは言えない。また、導入部は著者の独善にすぎ、読者をぐいぐいと引きつけるパワーに欠けるうらみがある。 訳者あとがきに『原文が「数十人もの関係者へのインタビューが、 読みやすさや筋の通りを考えて編集されることなく、まったく「生のまま」に収録されていること。しかもその量が生半可ではない。 意味を正確に把握することは不可能だと、匙を投げたくなるほどだった。』と翻訳の困難さについて述べたくだりがあるので、 読み難さの原因の多くは原著者に因るのだろう。
 内容的には★3~4個でも良かったのだが、読み難いということで、 私の書評としては★2個にしておく。

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